新しいアルバイトを始めた。
借りてきた猫を返しに行く仕事だ。
“猫の手も借りたい程に忙しい人”から依頼を受け、猫を派遣する会社。
借りてきた猫というのは、大人しいものだ。
黙々と、ただひたすらに、依頼人の仕事を手伝うらしい。
僕が始めたアルバイトの仕事内容は、
お手伝いを終えて事務所に帰ってきた猫たちに
お茶を出し、書類をいくつか書いてもらって、少し話をした後、
謝礼を渡し、家まで送り届けることだ。
僕はまだこのアルバイトを始めたばかりなので、
猫を家に送り届ける作業しか教えてもらっていない。
いずれは書類や謝礼のやりとりなど、全てまかされるらしい。
全てと言っても、僕は猫と会話ができない。
長年務めているパートのフジタさんは、
「こんなの慣れよぉ、慣れ慣れ。」
と言っていた。
そういうものなのか。
今日も僕は、少しくたびれた顔をした猫たちを
リヤカーに乗せて、1匹ずつ返しに行く。
一般家庭だったり、ペットショップだったり、
返しに行く場所は様々だ。
本当に、色んな猫が居る。
リヤカーの上で、猫たちは一様に大人しい。
借りてきた猫は、返されるまで大人しい。
謝礼のカツオブシに夢中になっているからかもしれないけれど、
とにかく大人しく僕に運ばれてくれる。
たまに、僕に話し掛けてくる猫も居るが、
返事に困って、適当に「にゃあ」と相槌をうっている。
何件か周った後、今日最後の猫返却に向かった先は、ラーメン屋だった。
まだ夕食には少し早い時間だ。店内にはお客さんが1人。
「猫の返却にきました」
お店に入って僕が店主らしきおじさんに告げると
おじさんは愛想良く笑って
「ああ、ご苦労様」
と返事をしてくれた。手の動きは止めない。
ラーメン屋のおじさんは、ラーメンを作っているようだ。
ソーメンではないことは確かだ。
リヤカーから猫を抱き上げると、
猫は僕の腕からするりと抜け出して店内に降りた。
「おう、ネギ刻んでくれ!あ、君ちょっと座っててよ」
ネギ・・・?
と、一瞬考えている間に、ネコはカウンターの中に入っていった。
ネギを刻んでと言われたのは猫であり、僕はちょっと座っていればイイらしい。
カウンター席に座って、おじさんと猫の動きを眺める。
トントントン・・・と、小気味よいネギを刻む音が聞こえて来る。
ガラガラガラ、とドアが開く音がしてお客さんが入ってきた。
「へいらっしゃい!」
二人の声がする。
正確には、二人ではない。おじさん一人と、猫一匹だ。
カウンターに座ったお客さんが味噌ラーメンをたのむ。
「味噌一丁!」
「はい、味噌一丁!!」
とても威勢のイイ掛け合いがカウンターの中から聞こえて来る。
「君は?何ラーメン?」
とりあえず座っていた僕に、おじさんが尋ねてきた。
「塩で。」
「塩一丁!」
「あい、塩一丁!」
アルバイト中にラーメンなんか食べていいんだろうか、と思ったが
とりあえず座ってと言われて座ったのだし、
何ラーメンか聞かれて塩と答えただけだ。僕は悪くない。
しばらくして、塩ラーメンが僕の目の前に置かれた。
猫が刻んだらしいネギがたっぷりと乗っている。
輪切りではなく、白髪ネギだった。
本当に細い。猫のヒゲが混じっていてもわからないかもしれない。
猫髭ネギ。。
「どうだい、うまいか!?」
仕事がひとだんらくしたらしい猫が、僕に話し掛けてきた。
にゃーとか鳴くのではなく、しっかりと喋っている。
フジタさんが言っていた、”慣れ”ってこういうことなのかな、とフと思う。
「あ、うまいっす」
「俺さ、借りられてる間は静かにしなきゃいけないからさ、
返された後は威勢良く声出したいわけよ。だからラーメン屋やってんだ」
「そうなんすか」
「ガソリンスタンドもいいな~って思ったんだけどさ、
飲食関係の仕事好きだからさ」
「そうなんすか。たのしそうっすね」
「ここのおやっさんにも、すげえ良くしてもらってるし」
「んじゃあずっとラーメン屋で働いてたらいいじゃないですか」
「そうはいかねんだよぉ。猫ってのは借りられちまうもんなんだ。
猫の手も借りたいって程忙しい人が居る限り」
「猫が猫の手も借りたいって時もあるんですかね?」
「ああ、あるかもしれないねえ。俺もたまに思うときある」
「借りないんすか?」
「駄目だよ、だめだめ。借りてきた猫は大人しいもんなんだからさ。
ラーメン屋はやっぱ威勢が良くないとね!へいらっしゃい!」
また新たにお客さんが入ってきた。
猫は再び持ち場に戻って、細く細くネギを刻み始めた。
「ごちそうさま」
「おう、ありがとさん。お代はいらないからね。
コッチが勝手に食わしたんだし。仕事頑張ってな」
おじさんが、ニッコリと笑う。
猫は僕のことなんて気にもとめずにネギを刻んでいる。
借りてきた猫が返された後って、
こんなふうになっていたのか、と
その日僕は初めて知った。