【お芋文庫】「トモコのカバン」

学生時代の友人であるトモコと久しぶりに会い、喫茶店でお茶をしていた時の事です。
トモコが席を立って
「お手洗いに行ってくるから、カバン見ててね」
と言いました。なので私はカバンをじっと見てました。
「カバン見ててね」と言っても言葉どおりにずうっとカバンから目を離さずに見ていなければならないわけではなくて、スリや置引に合わないように見ててねという意味であり、じっと見る必要も無かったわけなのですが、カバンってホラ、じっと見ていますと、持ち手や金具なんかが顔に見えたりするじゃないですか。トモコのカバンも顔に見える部分があって、顔っぽいなあって思いながらぼーっと見ていたんです。そしたらカバンの顔に見える部分が、ニコって笑ったんです。私に笑いかける感じで。もう、すっごくビックリしてしまって、トモコに早く教えたくて、トイレから早く帰ってこないかなって思いながらも、そのカバンから目が離せなくて、ドキドキ待っていたんです。そしたらそのカバンの口に見えた部分が開いて、「こんにちは」って声を発したんです。ええ。割とダンディーな、おじさま風の声で。私もドキドキしたまま「こんにちは」って答えたら、そのおじさま風のカバンは再びニコっと笑いかけてくれたんですね。トモコ、そろそろ戻ってくるんじゃないかな。まだかな。はやく、はやく。って思いながら待っていましたら、そのおじさまカバンが
「トモコさんが帰ってくる前に、ここから逃げたいのです。ご協力願えませんか?」
って言ったんです。驚いて、「え?」って聞き返したら
「後で詳しく話しますから、私を持ってお店を出て下さい」
って言うんですね。どうしようか一瞬迷ったんですけど、“逃げたい”という言葉が引っ掛かって、お店を出ることにしたんです。トモコには、後で事情を話せばいいし、って思って。
トモコのカバンを持って私はテーブルの会計を済ませ、お店の外に出ました。外に出た途端、カバンがしゃべらなくなっちゃうんじゃないかなって思ったんですけど、私の肩にかけられたトモコのカバンは
「ありがとうございます。助かりました」
って再び喋ったんです。
「どういうことなのですか」
と尋ねますと、
「私の中に、地図が入ってると思うんです。」
と言うので、私は「失礼します」と言ってトモコのカバンのチャックを開き、中をガサゴソと探ってみたのです。すると、四つ折りの紙が確かに入っておりまして、開いてみるとプリンターで印刷したらしき地図が入っていました。
「その地図は、トモコさんがこれから行こうとしていた質屋の地図なのです。」
トモコのカバンが言いました。
「売られてしまうところだったんですか。こんなに素敵なカバンなのに・・・」
私はそのカバンを人に見立てたとしたら肩にあたる部分をそっと撫でました。つやつやとした、質の良い皮でできているようでした。
「お名前は、ミチコさん・・・でしたよね?」
「え・・・ええ。」
「ミチコさん、お願いです。わたくしが売られてしまうことのないように、トモコさんを説得していただけませんか。」
「説得ですかぁ・・・。そもそも、どうしてトモコはあなたを売ろうとしているのでしょう?」
カバンと話をしているところを道行く人に見られても困るので、私は会話を続けながら近くの小さな公園へと入ってゆきました。人通りの少ない場所にあるので、公園内には誰も居ませんでした。私はベンチに座り、おじさまと面と向かって、だけれどもちょっとヒソヒソ気味の声で会話をしました。
「お金に困っているんでしょうね、きっと。何か良い案はありませんか、ミチコさん。わたくしはトモコさんのカバンであり続けたいのです。3年ほど前だったでしょうか、駅前のデパートの新春初売バーゲンで、90%オフのワゴンの中で絶望的な気分で佇んでおりましたわたくしをトモコさんが見つけて下さったのです。それから私は精一杯トモコさんのお財布やハンケチや携帯電話など、大切にお守りしてきたつもりです。」
「あのぅ、話はわかったんですけど、今頃トモコは喫茶店の席に戻って私も居なくてカバンも無くなっていることにビックリしているんじゃないでしょうか。財布も携帯電話も無くてきっと困ってると思いますし、事情は私が説明しますから、トモコのところに戻りましょう。これじゃあ私が置引犯ですよ・・・」
「あ、そうですね。失礼いたしました。切羽詰まっていたものですから、つい・・・。トモコさん、まだお店にいらっしゃるでしょうかね。戻ってみましょう。」

そんなこんなで先ほどの喫茶店に戻ったのですが、席にはもう別のお客さんが座っていました。店員さんに、さっきそこの席に座っていた女性を知らないかと尋ねると、お店の電話を借りてどこかに電話をしたのち、駅前の方に歩いて行ったとのことでした。きっとトモコは怒っているに違いないと思いました。普段は心優しいトモコですが、怒らせると怖いのです。早く見つけて事情を説明しなければいけません。私はお店の人にお礼を言い、急いで駅前の方へと走って行きました。走っている間、私の肩にかかっているトモコのカバンは一切喋りませんでした。私がトモコを怒らせてしまったかもしれない、と焦っているのを感じ取っているのかもしれません。私にとっても、走りながらカバンに話しかけるなんて奇妙な行動は避けたかったので、トモコのカバンには喋らずにいてくれたほうがありがたかったのです。
駅までは長い商店街が続いています。ずっと先の方にトモコの後姿が見えました。私は普段の運動不足がたたって息が切れ、かなり苦しかったのですが足を止めずにひたすら追いかけました。
「トモコ!」声が届きそうな距離まで近づいたので、大きな声で呼んでみました。
振り向いたトモコは、私に気がつくと、こちらに向かって歩いてきました。
「ミチコ!どこ行ってたのよ!人のカバン持って・・・」
「ごめんね、トモコ。このカバンがさ・・・」
私は、トモコが席を立ってからの出来事を話して説明しました。カバンが喋ったことに関しては全く信じてもらえなかったのですが、トモコがカバンを売ろうとしていたことや、そのカバンを新春バザールで90%オフで購入したことなどは当たっていたので、カバンを盗もうとしたのではないということはわかってもらえました。
「でもミチコ、カバンが喋るわけないじゃない・・・変なこと言わないでよ。気味悪い。」
「本当なのよ。優しそうなおじさま風の声でさ、ここが目でね、ここが口で・・・」
私は一生懸命説明しましたが、やっぱり信じてもらえませんでした。
“ミチコがおかしなことを言っている”と思われたままでしたが、私の必死さを見て、トモコはカバンを売るのをやめることにしてくれました。とても良いカバンではありそうなのですが、新春バザールで90%オフだったのだから、質屋に入れたって高値が付くとは思えないと言いました。そんなにお金がピンチなら、と、さっきの支払った喫茶店での飲食代のトモコの分を請求せずにおごってあげると言うと、トモコは嬉しそうな顔をしました。本当にお金に困っているわけではなく、少しお金を使いすぎてしまい、今月ちょっとピンチだからカバン売っちゃおう、ぐらいの気持ちだったようです。
しばらくの間、トモコは共通の友人に「ミチコがカバンと会話したとか言うのよー」と言ってまわり、笑い話とされたのですが、トモコのあのカバンは、また切羽詰まった状況(捨てられる、とか)になればまた、喋ったりするんじゃないだろうかと思うのです。なので皆様もカバンを手放すようなことがありましたら、気をつけてみてください。