【お芋文庫】「りんご畑公園駅」

月末の膨大な仕事をようやく片付け、終電近い電車に乗り、ぐったりと座席に座った。
これで明日が休みならまだしも、明日も会社だ。木曜日は会社の各部署の人が集う会議がある。
行きたくないなあ・・・明日。会社。

運よく端の席が取れたので、壁にもたれかかり、目をつぶる。
自宅の最寄り駅までは1時間近くかかる。しばらく眠ることにした。
降り過ごすと面倒なことになるので、携帯電話のアラームを一駅手前に着くぐらいの時間にセットする。

―次は、りんご畑公園。りんご畑公園です。―

りんご畑公園駅。最寄り駅の3つ手前の駅だった。
だだっぴろい敷地に、ひたすらリンゴ農園が広がり、運動場と、いくつかの遊具がちりばめられた芝生の広場と、鬱蒼と茂った小さな林なんかがある公園。小さい頃に、何度か遊びに行ったことがある。りんごが成る季節はそれなりににぎわっているが、それ以外の次期は閑散としている公園だ。
もう少し眠ろう・・・と再び眠りの世界に入ろうとするが、そろそろ携帯のアラームが鳴るかも、とか考えてしまって、なかなか眠れない。。それでも目はつぶったままで、ウトウトしていた。

―・・・畑公園。りんご畑公園です。―

アレ?と思って目を薄っすら開けてみる。りんご畑公園はさっき通り過ぎたんじゃ・・・?寝ぼけた頭で考えてみた。同じアナウンスは2回しないはずだけどなぁ・・・研修中の車掌さんなのかな・・・そんなことをぼんやり思う。さすがに目が覚め、あたりを見回す。電車がりんご畑公園駅に停車した。この公園の付近に住宅はほとんど無いので、誰も降りなかった。そろそろ最寄り駅だし、もう起きようと思い、セットしたアラームを解除する。

―次は、りんご畑公園。りんご畑公園です。―

またりんご畑・・・?さっき止まったはずのりんご畑公園駅に、再び電車が停車した。誰も降りない。電車が走り出す。そしてまた、りんご畑公園駅。やっぱり誰も降りない。サスガにおかしいと思い、周りの乗客の様子を窺ってみたが、寝てる人、本を読んでいる人、ボーっとしてる人、いろんな人が居るものの誰も不思議そうにしている人はいない。ごく、ふつう、の車内。

しばらくこの状況を眺めていたが、いつまで待ってもりんご畑公園駅から先の駅に進む気配がないので、車掌さんのところに行ってみた。しかし、「何を言っているのだろうコイツ」という表情をされてしまった。仕方なく、勇気を出して周りの見知らぬ乗客にも話しかけてみたが、車掌さんと同じく、変な人が居るから関わらないようにしよう、みたいな態度だった。埒があかないので、りんご畑公園駅で降りてみることにした。

無人駅だが、うすぼんやりと明かりはついている。駅のホームにも、待合室にも、誰も居ない。私が乗っていた電車が走り去ると、まるで人が誰も居ない世界に来てしまったみたいに、しんと静まり返った。こんなところで降りて何やってるんだろう、自分。でもあの電車にずっと乗ってても帰れなさそうな気がした。
改札を出るとすぐ、りんご畑公園の入り口がある。入口と言ってもボロっちい木目の看板に、「りんご畑公園へようこそ」と書いてあるだけだった。その隣に敷地内の簡単な地図が描かれた看板もある。近づいて眺めてみた。左手はすべてりんご農園で、右手に散歩コースや遊具がある芝生広場があるようだった。小さい頃に何度か来たきりなので、園内に関する記憶はすっかり薄れている。

りんご農園の方は真っ暗だが、散歩コースにはぽつんぽつんと街灯が等間隔に並んでいたので、歩いてみることにした。誰か居るだろうか。早く帰って寝たいのに、こんなところで何やってるんだろうと思いつつ、フラフラと散歩コースを歩いてみた。もし誰か人が居たとして、どういう風に事情を説明しようか。乗っていた電車が何だかおかしくて、この駅で降りないといけなかったんです、なんて言ったら酔っ払いか何かだと思われてしまうだろうか。農園のおじさんとか居ないかな。居ないか、こんな遅い時間。そうだよ、こんな遅い時間に誰か居るわけないじゃない。どうしよう。朝までここで過ごすのか、私・・・。

散歩コースを歩いていると、小さな池があった。そのほとりに、小さな小屋が建っている。こんな池と小屋、昔は無かったんじゃないかなぁ・・・なんて思いながらも近づいてみると、小屋の扉が開いた。
「お待ちしていましたよ、ショウコちゃん。」
老婦人が、やさしい笑顔で私にそう言った。
ショウコ。私の名前。なんで知ってるんだろう?
「あの、なんで私の名前・・・」
「あら。覚えてないの?昔、一緒に遊んだじゃない。うさぎのオバサンよ。もう、お婆さんだけれどね。」

“うさぎのオバサン”という言葉に、聞き覚えがあった。
小さい頃、親に連れられて何度か遊びに行ったことがある家に居た、オバサン。
うさぎをたくさん飼っていて、私は“うさぎオバサン”と呼んでいた。。

「うさぎオバサン!」
「うふふ。思い出した?今日はね、あなたのことココに呼びたくって、電車にちょっとイタズラしちゃった。ついでに明日を日曜日にしておいたから。今晩はうちでゆっくり休んで行きなさい。」
「明日を日曜に・・・?今日、まだ水曜なのに・・・。明日、会議・・・。」
「日曜日に会議なんて無いわよ。アップルパイを作りましょうよ。ショウコちゃん、好きだったでしょう。さあ、おいで。」

うさぎオバサンに手をひかれ、小屋を出る。月明かりがさっきよりも増している。真っ暗だったりんご農園のほうも、月明かりに照らしだされていた。
「月も星も明るめにしといたわよ。夜光るリンゴ、探しましょう。」
「夜光るりんご?」
「夜光るりんごは、りんごが成る季節には成らないのよ。リンゴの木が、おやすみしてる時にだけ、成るの。しかも真夜中しか見つけられないからね、今がチャンスなのよ。」
オバサンは私の手を引っ張って、グイグイとりんご農園の奥のほうまで進んだ。
「はい、ここが見張り台。」
そう言って、オバサンはやっと手を放してくれた。そこには、大きな切り株があった。
「ここに腰かけてね、夜光るリンゴがピカっと光るのを探すのよ。」
オバサンが腰かけた隣に、私も座った。
「まあ、お茶でも飲んでのんびり待ちましょ。」
いつのまにかオバサンは、水筒を持っている。
まるで魔法で出したみたいに水筒が現れたのだ。
コップにコポコポとお茶を注ぎ、私にくれた。

うさぎオバサンと並んで座り、月や星を眺めながら、熱いお茶をすすり、たまにりんご農園を見渡す。
「もうすぐ光り始めると思うわよ。」
オバサンがそう言った数分後、りんご農園のりんごの木が、光ったような気がした。
「いま、何か光りました?」
「あら。光り始めたかしら。」
さっき光ったような気がした方を、じっと見てみる。すると、ほのかに光を放つりんごの実を発見した。
「あ。ほら。見て、ショウコちゃん、あの木。」
「わあ。光ってる・・・」
オバサンは籐の手提げ籠も持って来ていて、それに摘み取った夜光るりんごを収穫することになった。
さっきまで枯れ木だったりんごの木に、ポツポツと実が成っている。
「キレイですねえ・・・」
私がポーっと見とれていると、
「ぼーっとしてたら夜光るリンゴ、光らなくなっちゃうわよ。光らなくなっちゃうと見えないから収穫できないのよねえ。アップルパイには5個くらいあれば十分だわ。アッチの木のりんご、取って来てちょうだい。」
私はぽわーっと光るりんごの実をもいで、オバサンの籠の中に入れた。

「これで、よし。早速アップルパイを作るわよ。」
オバサンは、籠を抱えて、来た道をズンズンと戻っていく。私もその後を早歩きでついていった。やがて、池のほとりの小屋に着いた。
キッチンでオバサンがアップルパイを作る準備をし始める。私は横に並んで、何か手伝おうとした。
「ショウコちゃんも手伝ってくれる?もうすっかり大人になったんだものね、リンゴを切ったり、何だってできるわよね。じゃあ、オバサンがパイ生地を伸ばしる間に、リンゴの皮をむいて切っておいてくれるかしら。」
「はーい。」
オバサンがテキパキと動いている横で、私も邪魔にならないよう、それなりにテキパキと手伝った。

パイ生地にリンゴを敷き詰めていく。シナモンをたっぷりふりかけて、パイ生地でふたをする。
「あとは、焼くだけね。」
そう言ってオバサンは、完成したアップルパイを、予熱で温めたオーブンにそっと滑らせた。
「すごくたのしみ。」
私はオーブンの窓から中を覗き込んだ。幼いころ、こうやってアップルパイが焼けるのを覗き込んで待っていたことがあったような記憶が、ふわっと蘇った。

「そろそろウサギ達を呼びましょうかね。」
オバサンが小屋のすみっこにあった小さな扉を開けた。
その扉は、オバサンのひざ丈ぐらいしかない。

「こんにちはー」
小さな扉から、二足歩行のウサギたち(しかも喋る)が出てきた。5人くらい。
「ずっと飼ってたらね、歩けるようになったのよ。この子たち。」
「こんにちは・・・」
私は驚いて、とても弱々しい声でウサギたちにあいさつをした。
「そろそろアップルパイが焼けるから、お茶を淹れてくれる?ショウコちゃんも一緒に手伝ってあげて。」
ウサギたちはお茶の準備を始めた。私もカップをテーブルに並べたり、沸かしたお湯をティーポットに注いだり、一緒にお茶の準備をする。みんなとても優しくて気さくなウサギたちだった。
みんなで紅茶を飲みながら、アップルパイが焼けるのを待つ。

「そろそろ焼けたかしらね。」
オバサンはそう言って席を立つと、オーブンからアップルパイを取り出した。
こんがりと、おいしそうな焼き色がついている。
夜光るりんごで作ったアップルパイ。

「美味しく焼けたわよ。仕上げにね、月のジャムを塗るの。」
「月のジャム?」
「そうよ~。毎晩、空に浮かんでる月をね、ペリっとはがして集めて、それを煮詰めたジャムなのよ。三日月ばかり集めるとちょっと酸っぱいし、まんまるのばかりを集めると甘くなるの。私は中間ぐらいが好きだから、偏りなく集めて、コトコト煮詰めて作るのよ。これを表面に塗って、出来上がり~」
オバサンは焼きたてのアップルパイをテーブルに運んで来てくれた。
サクっと良い音を立てながら、みんなの分を切り分けてくれる。

「さあ、めしあがれ。」
全員分が切り分けられ、テーブルにお皿が並んだ。
「いただきまーす。・・・・・・美味しい!!」
「どれどれ・・・うむ。いつも変らぬ美味しさですね。サスガです。」
「あ。わたしバニラアイス添えるー!」
「わたくしにもアイスください。でもそのままでも十分美味しいですね。」
「おいしいなあ。おいしいなあ。」
ウサギたちも口々にアップルパイを絶賛した。本当に絶品だった。

美味しいアップルパイを食べ終わった後、ウサギおばさんとウサギたちと、歌ったり踊ったりトランプをしたりして楽しく過ごし、夜更けに眠くなってソファを借りて眠らせてもらった。翌朝目覚めたらすべてが夢だった、なんてことはなくて、ウザギおばさんも、ウサギたちも、みんな起きてきて私を駅まで見送ってくれた。その日は本当に日曜日になっていた。会社に行かなくていい。会議もない。うれしい。

あの日以来、ぐったり疲れて帰る時は、りんご畑公園駅に電車が何度も停車しないかなあと期待して乗っている。いつも期待は裏切られ、隣の駅に着いてしまうのだけれど、でもきっといつかまた、うさぎオバサンが私を呼ぶためにイタズラしてくれるんだろうなあとワクワクしながら電車に乗っている。あのアップルパイより美味しいアップルパイは、たぶん存在しないと思う。